天才と呼ばれる人々が試練を与えられた時、我々の常識をはるかに超える行動力を発揮し且つそれを成し遂げて見せる事がある.......
1988年三重県鈴鹿サーキット。今は亡きアイルトン・セナはその日、レーススタート直後にエンジンストール(エンスト)。しかし緩やかな下り坂の直線を徐行する間、奇跡的にエンジンが係りレース続行。最速タイムを次々と更新し、スタート時に14位にまで後退したセナは1周目8位、2周目6位、3周目5位、4周目4位、11周目3位、20周目2位。終盤からの雨により得意のウェットコンディションで驚異的な追い上げを見せ優勝。初のワールドタイトルを勝ち取った。
現時点でここに詳細を明らかにする事は出来ないが、HALは試練を与えられ更なる進(深)化/トランスフォームの過程にある。ここに発表されたライブスケジュールはアクシデント以前に決定されたものだが、彼等は僕の心配を吹き飛ばす様にただ一言
"Yes!"
と応えた。6速ギアが無くてもブースターを点火させ彼等は加速していく。
3年後の1991年、ブラジル/インテルラゴス。ジンクスでずっと無勝利だった母国グランプリ。
終盤残り7周、腕の激痛と6速ギアのみでの片手運転という苦難の中、最後の一周で雨滴がサーキット
を包む、チェッカーフラッグだ。念願の母国優勝。その時ヘルメットの中でセナは新生児の様に声を上げて泣いた。
そう遠く無い日、彼等の勝利の涙を我々は目撃するだろう。
勝利に向かって加速していく彼等のアクトを見逃すな!