zoё's studio:DIARY 9812

ECCE HOMO

※ECCE HOMOとはニーチェの半自伝的かつ狂気に満ちた晩年の作品『この人を見よ』の原題で、
ここではzoёの偏見と怒りと笑いに満ちた日々の記録のことである



1998.12.31.Thu. 
今年も今日で終わり。来週の月曜にはロンドンに向けて出発。落ち着かない。何か混沌としている。拭っても拭った手についてしまうタールのようなものが常に僕の意識のどこかに住み着いている。今年は死の年だった。こんなに多くの死に囲まれたことはない。僕の頭の中はクリアーになれるかな。それとも混濁した汚染された無意識に引きずり込まれるのか。体調があまりよくない。高速道路の上を140Kmで移動中、年が明けた。

1998.12.30.Wed. 
銀行が今日までだったので、外貨に両替えしようと思ってたんだけど、起きたら1時近くで、3時までにポンドの両替えをやってる支店まで行くパワーがなかったので当日空港でやることにした。財布を買った。古本屋を覗いてみたら、在庫切れになっててもう手に入らないK.W.ジーターの『グラスハンマー』が売ってたので思わず買った。早川文庫の彼のリストはほとんど品切れで古本屋に期待するしかない。これは本当に嬉しかった。それとガルシア・マルケスの『十二の遍歴の物語』とレイナルド・アレナスの『めくるめく世界』を買った。この日記でもよく書いてることだけど、中南米の作家は侮れない。20世紀後半で最もパワーのある芸術の一つだと思う。あと1日で1998年も終わり。波乱万丈の1年だった。来年はどんな年になるんだろう。

1998.12.29.Tue. 
ロンドン行きが1月4日に決定した。新年になってからでは、日本で買い物をする暇も無いと思って、コンタクトレンズをいつも作ってる店に年内いつまでやってるか電話してみたら今日までだった。昼頃今年最後のプールに行って、横浜南部の店に行った。作ってから、今度はトミナガ君と約束があったので、都内に出た。某所でHALのデモのミックスをやった。夜にラーメンを食べに行って、彼の家に行って、彼が所有してる大量のギターエフェクターのうち歪み物を3つロンドンレコーディング用に借りた。

1998.12.27.Sun. 
今日はアルバムのためのプリプロの最終日。技術的な事もあって、コーディネーターのラオクスさんとディレクターのT氏と事務所から高橋さんが来た。
メンバーだけになってから、彼等は直接セミのことを知らないんだけど、彼を偲ぶため、彼がHALで弾いたトラックと彼に以前もらってたデモテープから何曲かをみんなで聞いた。
halは最近ある明確な自分の姿勢についてのビジョンを持つようになって、それを軸にHALの進む方向についての考えを明確にした。HALは彼女の世界を展開すべき場なので、僕はhalのインスピレーションに常に注意を払ってるんだけど、今回halが手にしたビジョンは非常に強力で説得力を持つものだったので、メンバーに伝えることになった。練習が終わってからメンバーでミーティングをした。今年の最後を締めくくる気合いの入る内容だった。
燃えて朝方3時頃帰宅して家に入ろうとしたら、カギがなくて気が遠くなった。僕の弟が合鍵を持っていたので、実家に戻って取りに行って、家に入ったら朝6時前だった。麻布→横浜北部→横浜南部→横浜北部という最高に疲れるドライブだった。午前中用事があったので、結局寝ないで出かけた。

1998.12.26.Sat. 
セミの告別式。吉田さんと桜木町で待ち合わせして、一緒に教会へ向かう。吉田さんはHALが最初のレーベルと契約する直前に知り合った。ブラックミュージックについて多くを彼から学んだ。吉田さんは当時バークリーを出て、帰国して日が浅くて、とにかく凄いドラマーだった。一流の凄さを体感させてくれた初めての人だった。HALのメンバーとして2回程一緒にライブをやったことがあって、その時のベースはセミだった。セミは吉田さんがきっかけになって、バークリーに行くことを具体的に考えはじめたと思う。結局そのあとセミは奨学生としてバークリーに行った。
僕は15歳の時にセミと知り合った。その頃僕は別の人間とバンドをやってて、その人を介してのものだった。まだベースは弾いてなくて、その後ちょっとして弾きはじめたと記憶してる。当時は高校もお互い違うところに行ってて、時々ライブの時とかに顔を合わせるくらいだった。その後偶然同じ大学に進んで、halと僕は知り合って、HAL の母体になる別のバンドを始めた。セミとはその頃から一緒に活動しはじめた。一緒にやってた時もあったし、離れていた時もあった。でも僕達がつかず離れずの関係を保てたのは、多分お互いが音楽に真剣だったからだと思う。人生のプライオリティーにまず音楽が来てたから、付き合えた。バンドをやってても、簡単に音楽を捨てる人もいる。それは人それぞれのの生き方であって、各々が自分の道を行くべきだと思う。ただ音楽に第1の価値をおける人はなかなかいなくて、たまたま僕達はそうだった。セミは僕の次の日に生まれていて、それも僕に何か縁を感じさせていた。心の中では自分の弟のように思っていたのかも知れない。守るべき存在として。
結局僕達は同じバンドのメンバーとしては決別するんだけど、その後も付き合いは続いた。レコーディングにも参加してもらったし、ライブがあると見に来てくれた。
バークリーを卒業して、帰国してから彼も自分の活動が軌道にのってきてたみたいで、ここ1年半ほとんど互いに連絡しなくなっていた。僕達も移籍の騒ぎや、様々な問題を抱えて四苦八苦してたから、友達とゆっくり楽しむ時間も精神的な余裕もなかった。そこに突然入って来た訃報だった。僕は彼の死に意味を見出せない。なんで彼が死ななければいけなかったのかわからない。式の最後に彼の顔を拝むことが出来た。
僕の心にはリミッターがかかってる。何も感じられない。

1998.12.25.Fri. 
セミの通夜。halと会場である横須賀の教会に向かう。いまだに実感がない。牧師の話しを聞いて、賛美歌を唄って、彼のお父さんの話を聞いた。献花する時になって、柩のある祭壇の前に、彼が愛用していたベースが置かれているのを見て、涙が出てきた。ミュージシャンの魂が持ち主を失って、立ち尽くしていた。帰り、実家に寄って、アルバムを探したら、昔の写真が出てきた。HALのメンバーとして、ベースを弾いてた時の写真。カセットを見てたら、彼のデモテープが2本見つかった。リハのテープも。横浜でライブをやってた頃のことを思い出して、彼の冥福を祈った。セミは戦って死んだ。残された者は戦い続ける。

1998.12.23.Wed. 
父の誕生日だった。こういう職を選んでしまって、親不孝な僕だけど、何だかんだ言って黙って許してくれる両親に僕はすごく感謝している。親父は体調が優れなくて冬になると入院する。今日は誕生日ということもあって、家に戻れるというので、僕も実家へ帰った。親父は昔から動物が好きで、特に鳥に関しては幼少の頃に新聞が取材しに来たくらいたくさん飼ってて、最近体調を崩して仕事の量を減らしてから、趣味で鳥の写真を撮るようになった。横浜と鎌倉のボーダーに僕の実家はあって、互いを隔ててるのは山。最近その山が自然公園として整備されて来て、写真を撮るのにはもってこいらしく、ここ1年程休みになると撮りに行ってる。実家に帰るとその写真を見せてもらう。周りに好評らしく一度売ってくれと頼まれて、生まれて初めて自分が撮った写真が売れたと驚いていた。

1998.12.22.Tue. 
朝、halからの電話でセミが事故で他界したことを知った。彼は僕の高校時代からの知り合いで、高校は別だったんだけど、偶然お互い同じ大学に行って、僕とhalが会って、最初に組んだバンド、HALの母体になったバンドのメンバーだった。ゲルを始め僕が今でも仲良くしてる友人とみんな繋がってて、僕やhalにとっていろいろ縁のあるやつだった。HALがプロになってからも“SWEET THING”“BELLS-4”“PSYCHICK”等何曲もレコーディングに参加してもらってた。一種の音楽の天才でいいベース弾きだった。事故の詳細は知らない。正直言って実感がない。ヤツがこの世を去ったというのが理解できない。当時一緒にバンドをやってたミズシマ君から電話で通夜と告別式の日取りを聞いた。ミズシマ君とセミの葬儀の話しをしてるなんてシュールすぎる。

1998.12.20.Sun. 
リハ。アルバムのためのプリプロも大詰め。あと1回で終了。夕方トミナガ君が遊びに来る。途中ソニーのT氏が来て、ちょっと打ち合わせ。バッドになる。終わってからトミナガ君がミックスしたHALのデモ・ヴァージョンの“UP”を聴く。かっこよかった。彼は侮れないね。機会があれば、彼がミックスしたデモは発表したい。HALの裸のドキュメント。 

1998.12.17.Thu. 
元章さんとオカちゃんと僕で飯を食べた。元章さんが腕の内側にドーンとタトゥーを入れててクールだった。元章さんは段々ロック度に磨きがかかってきた。かっこいいぜ。オカちゃんとも今回はまたいろいろ話が出来た。二人とも結構映画、ビデオを見てて、話が通じるので楽しかった。
僕は自分が普通の価値観を持った人と話をあわせる能力を有してるとずっと思ってたけど、実はそうでは無いことに最近気付いた。元章さんやオカちゃんはやっぱり普通の人とは確実に違ってて、僕もふと気付くとそのボーダーの向こう側に居て、halやメンバーや僕の友達も一線を超えてしまっている。
一線を超えたところにいる人と話していると、僕はリラックス出来る。でも、最近はあんまりそういう機会もないけど、僕から見て線の向こう側にいる人と話すのは、非常に骨が折れる。僕は相手を不安にしないように演じなければならない。下らない価値基準にあわせなければならないし、感情を抑制しなければならない。
象徴的な話がある。以前ある商社に勤めるOLとhalと僕で話す機会があって、イギリスではTVの規制が日本より厳しいと言う話題がhalから出た。halはロンドンで、レコーディング中に、偶々TVで『マッド・マックス』を見ていた。マックスの同僚が犯罪者集団に暴行を受けて火だるまになるシーンがあって、その後面会に来たマックスが全身に火傷を負った同僚と遭遇するシーンが来るはずだった。しかし遭遇する直前で場面が変わって、暗い表情で病室を出るマックスのシーンに続いていて、遭遇シーンはカットされていた。これがhalには面白かったみたいで、そのOLにその話をしようとして、『マッド・マックス』と言った時、OLは無反応で、halも僕も年齢的にも『マッド・マックス』くらい知ってるだろうと思っていたんだけど、ふと不安になって、『マッド・マックス』を知ってるか尋ねてみた。そうすると、halや僕には、衝撃的な返事が帰ってきた。彼女は、名前も聞いたことがない、と言った。僕は『マッド・マックス』を見てることが人間の常識とは当然思ってないんだけど、『マッド・マックス』のタイトルさえ聞いたことがない人とどんな話をしたらいいのか全くわからなくなってしまった。しょうがないので、halと僕で『マッド・マックス』がどんな映画か説明しようとするんだけど、近未来の荒涼とした世界で、暴走族集団が、罪のない人を殺戮してて、警察の方でも、火だるまにされたり、家族を狙われたりして大変で、なんて話してたら、自分達がなんとも意味の無いことをしてる気分になってきて、どっと疲れた。その後はOL的基準で、話をあわせて、当たり障りのない下らない話がだらだらと続き苦痛だった。
元章さんやオカちゃんと話すのは楽しかった。演じる必要がないから。世の中のチープな道徳観やその裏に隠れたルサンチマンや被害妄想は暴力的で傷つくよ。こうやって友達と話してるのは、安らぐね。最近特に世間の人々の無意識の暴力にうんざりしてるんだよね。

1998.12.16.Wed. 
朝方トミナガ君とhalを送った。朝の9時に東名で都内に向かうことはあまりないので、興味深いことも無いわけではなかった。BUTTHOLE SURFERSの“piouhgd”を聴いてたら、途中用賀インターでトミナガ君が吐いた。

1998.12.15.Tue. 
halとトミナガ君が、僕の家に遊びに来た。もともとは僕の家でHALのデモテープを録ろうと思ってたんだけど、環境的にうまく行かなくて、結局朝までだらだら喋ってしまった。それはそれで面白かった。

1998.12.14.Mon. 
父が入院したので見舞いに行った。夕方行ったら、偶然母と弟のノリが来てて奇しくも家族が全員揃ってしまった。今日は実家で御飯を食べた。夜、Heedsが来て、コンピューターの使い方を習った。彼にこの辺の裏道を教えてもらって、非常に便利。

1998.12.13.Sun. 
リハ。久しぶりにメンバーに会う。アルバム収録予定曲を練る。燃える。

1998.12.12.Sat. 
スケジュールの件や細かいことについて、メールを送った。病み上がりで今週はアップダウンが激しかったので今日は外出を控えた。

1998.12.11.Fri. 
昼から川崎にある事務所の倉庫に行って、機材をチェックして、HEEDS君と連絡をとって、夕方に約束して、午後に帰宅。メールで送ろうと思ってた原稿を英語で考えながら手書きして、ロンドンにファックス。あんまり寝て無いのと、病み上がりと、慣れない英語での文章作りに疲れる。クールダウンして夕方、HEEDS君に再び登場してもらう。一緒にMac OS8.5を買いに行って僕の部屋に来てもらってそれをインストールしてもらった。そのあともう1度回線を繋いでもらって、再びメールが送れるようになった。思わずヤッターと叫んだ。一緒に近くのラーメン屋行って、また戻っていろいろ調整してもらった。お陰で新しい気分でまた取り組めるようになった。こんな近くに彼のような人がいてくれて助かった。調子に乗ってその日は10件以上もメールを送ってしまった。

1998.12.10.Thu. 
最近知り合いになった僕のすぐ近くに住むHEEDS君が非常にコンピューターに詳しいということで、僕のMacの設定とかいろいろやってくれる約束をしてたので、今日の夕方家に来てもらった。彼が設定してくれたお陰でついにメールが打てるようになった。これは嬉しかった。早速手持ちのアドレスに何通か送って、次作のプロデューサーのANDY GILLにGreetingを送った。とにかくANDY GILL とメールでやり取りできるのが非常に快適で、また早急に話さなければならない件もいくつかあったので、これでハードは整った、と安心した。夜出かけて、帰宅してからメールをチェックしたら、早速返事が来てて嬉しくなった。一つは友人からで、一つはANDYからだった。
早速ANDYに返事を送ろうとして文をうってた時、事件は起こった。メールソフトを開いてる状態で、別のソフトを開こうとしたら、Macがフリーズしてしまい、後ろのスイッチで電源を落として、また起動しようとしたら、変なクエスチョン・マークが出てきて起動できなくなった。いくらどうやっても起動できなくなったことがわかって、地獄に落ちた気分になった。1日で、メールを送れる状態から、起動出来ない状態に突き落とされて(というか、まあ自業自得なんだけど)、なんで朝の4時にわかりもしないコンピューターのトラブルに見舞われなければならないんだ、と最悪の気分になった。何と言っても、ANDYと通信が出来なくなることが、痛手だった。
実際の仕事の部分に支障がでてくるからだ。今日、明日を逃すと週末で連絡がとれなくなってしまうので、絶対にやり取りが必要だった。しかしコンピューターのことが全く解らない僕にはどうしようもないという事実がやっと飲み込めてきて、諦めて寝た。

1998.12.09.Wed. 
少し良くなった。食欲が出てきた。ここ数日、果物と水分しかとってなかったけど今日は暖かい物を食べた。そして仕事を開始した。とりあえずコーディネーターのKさんとロンドンの状況とか、プロデューサーの事とか、連絡先とか聞いて、ファックスをロンドンに送った。やらなければならないことがたくさんある。ひとつひとつ整理して片付けていこう。

1998.12.08.Tue. 
病気。長引いてる。電話がいくつかあってそろそろ来年のレコーディングに関して、直接僕とhalで内容を打ち合わせていかなければならない状況にあることを、知らされる。いろいろ具体的な内容についてとか実際の選曲から進め方から、僕らで仕切らないとうまく行かないので、詰めていかなければならないことが一杯ある。しかし僕は物が考えられる状態ではなかったので今日は治すことに専念した。

1998.12.07.Mon. 
今日もひたすら寝る。まとまらない考えがいくつも去来する。音楽を聴く気もおこらない。本も読む気力が無い。退屈で、憂鬱。果物を少し食べる。水を飲む。今日になって初めて、薬をのむ気力が出てきたので、飲む。効いてるのかどうか。寝室のブラインドを閉じていて何となく昼か夜かは判別できたけどあまり時間の感覚が無い。外を行く車の音。トラックの音。救急車の音。電話の音。車のライトがブラインドでバラバラにシュレッダーにかけられて壁に映る。気圧が変わるみたいに時々聴覚の捕らえる音世界の周波数が変わる。それまでブーンっていってた幽かな音がだんだんキーンって言う音に変わる。体の向きをかえると内臓が重力の方向にゴロッと動くような感覚があった。

1998.12.06.Sun. 
この日の朝方突然吐き気に襲われて吐いて、すごい悪寒がして一気に調子が悪くなった。リハにはとても行ける状態ではなくて、寝込んでしまった。一体何が起きたのか、全く理解できなくて、ひたすら苦しんでいる内に、これは風邪だ、と気付いた。 こういう日に限って電話がたくさんかかってきて応対が面倒臭かった。悪寒は全くなくならなくて病気の恐ろしさを再認識した。

1998.12.05.Sat. 
帰宅したら昼の1時頃で、眠さでボーッとしてて、なかなかリラックスした、いい気分だった。以前halにアニキが村上龍の『イン・ザ・ミソ・スープ』という本をあげてて、halは昨日それを読み終わったみたいで、なかなか面白いと貸してくれた。今はジェイムズ・エルロイの『血まみれの月』を読んでたんだけど、ちょっとそれはお休みして、『イン・ザ・ミソ・スープ』読んでみようかな。halはこの本の面白さに言及しつつもいくつか鋭く批評してて面白かった。

1998.12.04.Fri. 
昨晩あまり寝れなくて、朝の8時に目が覚めた。これは僕には異常なこと。とりあえずコーヒーを容れて、朝食をとって、泳ぎに行く。午後から打ち合わせを一件。夜にトミナガ君と某所で、HALのデモのミックスをやる。熱中してやってたら、朝の8時半になってたので、今日は終わりにする。このデモは、HALの3枚目のフル・アルバム用にいつも使ってるMスタジオで録った音源で、3日くらいで5曲とるというスケジュールに加えて、エンジニアもeとスッキーを中心にバンドでやったため、音質的なクオリティーは低いんだけど、ラフで勢いがあってhalの歌も演奏も好きだった。トミナガ君はローファイなその音を、非常にヘヴィーに仕上げてくれてて、一緒に作業してて面白かった。

1998.12.03.Thu. 
寒い。冬。こういう湿った寒さは、身にしみる。冬のヨーロッパは毎日こんな天気が続くんだよね。これじゃあ憂鬱になるよ。でも今日はあまりダウナーな感じじゃなかった。自宅スタジオ(ブラック・ホール・スタジオ)に暖房器具がないので最近はジャンパー着て、作業してる。買おう。

1998.12.02.Wed. 
パスポートの更新に横浜の貿易センターに行った。久しぶりにこっちの方に来てみたら、相変わらず独特の風景だった。こういう街は他にはないね。雨が降って寒かったけど、いい気分だった。横浜駅の方に行ってCDとか買い物して、戻る。泳ぐ。

1998.12.01.Tue. 
パスポートの期限があと2か月で切れるので書き換え(?)のための書類を集めた。来月から海外に行く可能性が出てるので、早々に更新しなければならない。